「一億総マスメディア化する時代」だから気をつけないと大変な事になっちゃうよ。
現在はTwitterやらUstreamやらで誰もが情報を発信できる立場にありますよね。
それこそ、Web2.0という概念があるように、現在は垂れ流しメディアの代名詞であったテレビでさえ双方向へと変わりつつあります*1。すごいね、インターネットって。
Web2.0は人々をマスメディアに。
そんな「誰もが気軽にマスメディア化できる社会」だからこそ、自分の発言には気を配らなくてはいけないのですよね。
Twitterとかは"つぶやき"っていうかんじで、どうも自分のことを気軽に吐き出せる場所みたいな捉えられ方をしがちですけど、Webに公開されてるということを忘れちゃいけない。Webに公開されてるということは、誰が見てもおかしくないということを理解しておかなくてはならない。誰が見てもおかしくないということは、その「自分のこと」によって何かが起きる可能性があって可笑しくないんです、実は。
つまりはWeb2.0によって、インターネット・ユーザはアングラっぽい立場からパブリックな立場へと引き上げられていってるんですよね。それがマスメディア化、ということなのではないか、と。
マスメディアは、影響力が違う。
じゃあ、パブリックな立場になると、どうなるのか。当然、言いたいことを好き勝手言っちゃいけなかったりするんですよ。言っちゃいけないっていうか、その弊害を理解しなくてはいけないんです。
テレビだって、何か問題があれば謝ったりするでしょ?
雑誌だって、自分にとって不利な記事が載せられたら訴えられちゃうでしょ?
そういう重みが気軽に扱えるメディアにも生まれてきているんです。便利なインターネットの所為で。
自分の影響力を理解しよう。
でも、別に便利になったら世の中が悪くなる、ってことじゃないんです。こういう社会だからこそ、便利な道具を使う我々がちゃんと常識を知らなくてはいけないのです。過去にも無知が罪になった例はたくさんあるんだし。
道具は使い方や間違った使い方をしたときの怖ささえ分かれば、便利なんですよ。火だって、(一部の)薬だって、機械だってそうだった。
インターネットでは、傍観者がいきなり当事者になってしまうことがあるんです。気軽に参加していける環境だからこそ、自分の身は自分で守らなくちゃね。
補足:言葉の捉え方。
あと、これはネットリテラシというより、心構え?
人はそれぞれいろんな考え方や視点を持っています。だったら、他の世界を見てる人からすれば「いや、その発言は違うでしょ」なんて言われてもおかしくないでしょ?
インターネットでは、いつ、誰とつながるか分かんないんです。そんなことが起きるのは日常茶飯事なわけですよね。
だから、もう少し他人の指摘を受け入れる余裕も必要ですよね。発言によりますが、指摘は「新たな視点の提供」と受け取ってもいいはずですしね。
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先日、ついったーであった、いわゆる「そらのーと」事件?で思ったことでした。ちょっと遅いけど、ついったーに書いたこととかをちゃんとまとめてみようかな、と思いまして。明らかに私的見解の為、変なこと書いちゃうかも知れないです。指摘等ありましたらコメントください。
この件の詳細は以下postのリンクより興味の分だけ読み拡げていただければ。
Togetter - 「炎上ダダ漏れに対する「そらの氏」のコメント」
ちなみに、自分は全部目を通してる訳ではないので、どっかの方と言ってる内容被るかもです。
また、マスメディアとは、
マスメディアは、新聞社・出版社・放送局など特定少数の発信者から、一方的かつ不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞・雑誌・ラジオ放送・テレビ放送などのメディア(媒体)である。
とWikipediaさんでば述べられています。性質的にはそろそろTwitterなんかも含まれておかしくないと思っているので、こう言ってます。要は、広義のマスメディア的な。
あと、この記事の元となったpostを以下に。
まぁ、これも問題の本質は現状のマスメディア体質なんだろうけど。そういうのを観て育ってるから、マスメディアはこういうことをするもの、って意識がそのままになってる気がするの。目的を見失うと、便利なものは凶器にもなりうるんだよ。
簡単に人の言葉を借りられる社会だからこそ、ちゃんとリテラシを意識をしていかないといけないと思いましたよ。